郵政民営化委員会の3月15日の定例会で、日本郵政の長門社長が突如として、ゆうちょ銀行の通常貯金の上限撤廃を要望したことから、地銀をはじめとした地域金融機関の反発と金融庁からの反論が重なり、騒然とした動きとなった。しかし、委員会はその後、空転を続け結論を先送りした状態が続いている。今後の見通しと騒動の背景。
◎年末まで結論は先送りで雲散霧消か?
郵政民営化委員会での通常貯金の減額撤廃論議が停止しています。金融界と金融庁からの巻き返しが奏功したようです。委員会はこの6月にも結論を出す予定ですが、関係者によると「両論併記となる」模様です。つまり結論なしです。菅官房長官が年内と発言したこともあり、事実上、年内凍結となりました。いろいろな背景が考えられますが、自民党の総裁選が秋にありますので、その後の組閣次第ということで延長を決めたものと考えられます(総務大臣も財務大臣もそして官房長官も代わる可能性がありますから)。来年の参議院議員選があるので、まったく消えたということではないものの、限度額撤廃を担ぎ出す議員勢力がどれだけ残っているのか、それ次第でしょう。
論議の発端と経緯を整理しておきます。
まず、ゆうちょ銀行の貯金限度額を1000万円から13000万円まで引き上げることを決定した郵政民営化委員会の「今後の郵政民営化の推進の在り方に関する郵政民営化委員会の所見」が公表されたのが平成27年12月。
この所見には、次の3つの選択肢が示されています。①通常貯金を限度額管理対象から除外する方法、②現行1,000万円の限度額を一定額まで引き上げる方法、③通常貯金を限度額管理対象から除外するとともに、定期性貯金の限度額を現行の1,000万円から一定額まで引き上げる方法。結論として②が採用され、「一定額」が1300万円になったわけです。
この所見によって、1300万円までの引き上げが決定され、金融界にはこれが最終決定という見方がありますが、所見自体は現在も民営化委員会としての公式見解として有効です。期限も区切られていません。したがって、民営化委員会はいつでも、この3つの選択肢を活用することができます。限度額の「一定額」は、さらに積み重ねることができる仕組みになっています。また、通常貯金の限度額の撤廃も有効です。
この所見のトーンは1300万円への引き上げよりも、通常貯金の限度額撤廃に重点があります。そこを外す代わりに1300万円を採用したという経緯があります。いわば本丸を外して外堀の一部を埋めたという状況です。
自民党政務調査会に「郵政事業に関する特命委員会」(細田博之委員長)という公式の委員会と議員有志の集まりである「郵便局の利活用を推進する議員連盟(野田毅会長)の二つの郵政応援団が存在します。
特命委員会は昨年の6月20日に「郵政事業のあり方に関する提言」の速やかな実行を求める要望書」を政府に提出し、民営化委員会の所見の実現を求めました。所見が公表されてからわずか1年半後のことです。この時期から自民党が国政選挙目当て(つまり郵便局の応援依頼)を狙って蠢き始めました。そして、昨年の暮れから今年の初めにかけて議連の「郵便局の利活用を推進する議員連盟」(郵活連)が、特命委員会の提言書を手に自民党中枢や政府に働きかける動きが活発化します。二階幹事長にも提言書を手交しています。
特命委員会と議連に日本郵政の長門社長が呼ばれて、今後の方針を打診されたことから通常貯金の限度額問題が動き始めました。日本郵政の関係者によると「長門氏が、特命委員会や議連から呼ばれ、どういう方針で臨むかと問われれば、平成27年12月の郵政民営化委員会の所見を踏襲するしかないではないか。この所見は長門氏が日本郵政の社長になる前のもので、本人は関与していない。その所見に責任を持てということも酷ではないか。しかも、彼自身に所見で示された3案以外のアイディアがあるわけでもない」とのことでした。
長門社長の民営化委員会での発言は、「日本郵政内部で議論したものではなく、これまでの委員会の方針を述べただけ」(関係者)とのこと。正確に言えば、国会議員に言わされたというべきでしょう。日本郵政グループでは月1回、各社の社長が集まる会議が開催されています。そこでは、「通常貯金の限度額の話題は一切なかった」(同)とのことです。長門社長の発言はグループ内での意見を取りまとめたものではないということです。金融庁の森長官は長門社長の発言の真意を確かめずに(ここは想像ですが、多分)、長門社長批判を展開しましたが、長門氏にしてみれば、発言を強要というか、義務付けられたわけなので、批判されても困ったのではないかと思われます。
はっきりいえば、長門社長の発言は“主体のない発言”ということになります。個人的感想に近いものです。日本郵政発足以来、自らの意見・主張が実現したことが一度としてなく、すべて政治家と霞が関(総務省、金融庁、そして民営化委員会)によって決定されています。これほど巨大なコングロマリットのガバナンスが機能していないというのは、驚くばかりです。民営化が不十分なことから、日本郵政の経営がみずから決められない状況が続いているのです。
放置された経営は自ら意図したものではなく、明らかの外部の圧力によるものです。右からの風が吹けば左に流れ、左から吹けば右に流れるという姿です。この状況は政治的には意図されたものです。結局、民営化という掛け声は小泉元首相のみが主張しているだけであって、自民党も議員も本当に民営化してほしいと考えている人はいないということを反映しています。
今回の限度額騒動も撤廃という決着にならないはずです。なんとなれば、政治家は常にノリシロを残しておきます。民営化委員会ですべて自由化してしまえば、もはや政治家は郵便局の応援を頼むつてがなくなります。政治に使える限度額引き上げなので、小出しにするのです。何度も選挙に活用できるからです。これだけ特命委員会が動いたとなれば、色をつけなければなりません。
今後、通常貯金は上限撤廃でなく、一定額の限度額を設けるかもしれません。あるいは通常貯金を現状維持とするのなら、貯金上限1300万円を2000万円あたりまで引き上げるかもしれません。常に条件をつけることになるでしょう。
◎ゆうちょ銀行から6000億円の手数料収入
貯金の限度額を引き上げることは、ゆうちょ銀行経営自身にとって厳しい課題となります。運用ができないなかで、さらに貯金を増やすという経営はありえません。余剰資金は日銀の当座預金に持っていくしかありません。日銀のマイナス金利政策のもと、現在、最大のマイナス金利を払っているゆうちょ銀行がさらにマイナス金利の預金を増やすなどというバカげた経営をするのでしょうか。つまり、日本郵政全体の判断としては間違っているわけです。
そんな貯金の増額を狙っている人はいるのでしょうか。いるのです。ゆうちょ銀行は年間6000億円を超える代理手数料を日本郵政に払っています。これが郵便事業の赤字を埋めています。郵便局にしてみれば、貯金が増えることは収入の拡大につながります。それが赤字事業だとしても局の経営上はプラス要因です。特定郵便局の組織である「全国郵便局長会」(旧全国特定郵便局長会=全特)は、通常貯金の上限の撤廃を訴えています。とにかく増えることで懐が温かくなるのです。通常貯金でなくとも定額貯金でもいいのです。
この局長はご存知のように、なかば世襲的な経営を行っている局が多く、地域のいわば顔役的存在です。だから政治票となります。その集票力に頼る議員が今回も日本郵政のためにではなく、郵便局長のために動いたのです。こんな構造は常識ですが、意外に6000億円の手数料を知らない人が多いため、念のため書いてみました。
こうした手数料体系は日本郵政の経営を歪めます。金融の常識ではそう言い切れるのですが、政治的にはノーです。議員にしてみれば、完全民営化せず、事実上、国営銀行であることがベストなのです。
昨年、日本郵政の第2次売り出しがありました。その際、日本郵政は金融子会社の株式を売却しませんでした。表向きの理由は、マイナス金利下での経営の見通しが立たないなかでゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式に魅力を感じる人が少ないからとなっています。たしかに、いま銀行の株式を売っても高値では売り切れない可能性があります。売却見送りは合理的な判断といえそうです。
しかし、実際には「金融子会社の株式を保有しない日本郵政の株式は評価しない」(関係者)という声を反映したものと考えるべきです。子会社の売却益の使い道がなかったという事情もあるようです。さらにいえば、国営銀行存続を訴える政治側の意向の反映ということもあります。
一度、売却しないということが前例となれば、次の売却が止まります。政府はあと一回、持ち株会社である日本郵政の株式を売却してしまえば、義務はなくなります。政府保有比率が3分の1までとすれば、お役御免です。保有する金融子会社の株式をどうするかについては、法律上は全額売却処分することになっていますが、期限が区切られていません。政府は基本的に関心を失います。第3次売却時に保有金融子会社株を売るのか、売らないのか、それで今後の日本郵政の基本姿勢と政府の姿勢が判明することでしょう。
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